映像作品掲示板過去ログ061130_070112

1398 Reply またしても、訃報 マンプリ 2006/11/30 12:55

実相寺昭雄さんがお亡くなりになりました。
謹んで哀悼の意を表させて頂きます。

先日、御逝去された丹波哲郎さんと言い、
「昭和」と言う時代が、ドンドン遠ざかって行くような気がします.


1399 Reply Re:またしても、訃報 殿様ギドラ Mail 2006/11/30 22:13


夕刊で知りました。

まだまだ現役だったのに。

ショックだし、残念です。
ご冥福をお祈りします。

今日はこの投稿のみで失礼させてください。

1403 Reply Re:またしても、訃報 kei 2006/12/03 22:40

お気持ちお察しします。
私も朝から落ち込んでいました。

1405 Reply Re:またしても、訃報 殿様ギドラ Mail 2006/12/05 16:49

なんとか気を落ち着けて、実相寺昭雄監督への思いを書き残します。(keiさん、メッセージをありがとうございます)

その名前を意識しはじめたのがいつだったのかもう思い出すことは出来ませんが、
「スターウォーズ」にはじまるSF映画ブームに乗っかる形で1979年に公開された劇場用『ウルトラマン』が実相寺作品を集めたものだったことを知ったのは鑑賞後のことでした。
ですから、その時点ではウルトラにおける実相寺昭雄にはなんにも注目していなかったようです。
それどころか、実相寺作品ばかりで再編集されたウルトラマンはスペシウム光線を使うこともない、ウルトラマンの基本線から逸脱した作品が多く激しく欲求不満に陥ったほどです。
(スカイドンのふざけっぷりは子供の頃から好きだったけど)

その後の再放送で「ウルトラマン」はもちろん、「ウルトラセブン」「帰ってきたウルトラマン」(脚本担当作がある)を改めて見直していくと、
実相寺昭雄監督担当作はそれぞれのシリーズ中で異色作と位置づけられるものばかりでした。

ずいぶんとへそ曲がりな人なんだなぁ、なんて思っていたんですが、
「円谷英二の映像世界」に寄稿した文章や小説「星の林に月の舟」などを読むと、特撮映画への愛情と理解が深く、決してへそを曲げて特撮に携わっていたわけではないことがわかりました。
(TVドラマ版「星の林に月の舟」は酷かった。ある重要な部分が原作とは正反対な筋立てになっていやがった)

本多・円谷コンビの王道特撮映画に畏敬の念を抱きつつ、自らの作家性に忠実であろうとした結果特撮スペクタクルのカタルシスよりも社会批評性が強く押し出されてしまったのではないかと受け止めています。
円谷プロ作品では「怪奇大作戦」が作家性と作品の合致した幸福な作品だったのだと見ています。

特撮作品以外の実相寺映画はほとんど観たことがない(特撮なしは『宵闇せまれば』しか見てないです)というとても実相寺ファンとは言えない私ですが、
独特の映像センスにはある種の快感を覚えます。
しかしそれは実相寺監督独自のものであり、自分で真似しようとは思いません。
実相寺監督に対して「ミッチェルで撮らせたいねぇ」と円谷英二監督がおっしゃったことは今に生きる教訓です。
特撮ファン上がりと思われるクリエーターには実相寺風のカメラポジションを意味ありげに使う方が多々見受けられます。
それがただの物真似なのか、その方の抜きがたい作家性による物なのか?

ウルトラファンにはおおむね評判の悪い『ウルトラQザ・ムービー星の伝説』も私は好きですし、シナリオのまとまりが悪い『帝都物語』にもはまりました。
近年の作品では、TVシリーズ「ダーク・ファンタジー」と「ウルトラマンマックス」での担当作や『姑獲鳥の夏』を見ました。
どれもあまりパッとしなかったなと思っています。
感覚的であろうとしてシナリオの論理性を度外視してしまったか、と。
しかし「マックス」の「狙われない街」(メトロン星人登場)は重かった。
監督自身の円谷プロでの仕事をパロディにしつつ、現代社会に対して「勝手にしろ」とさじを投げるような作品だった。
ウルトラの異端児は最後まで異端だった。
けれども、先行作をないものとしドラマの視点が防衛チーム内にばかりとどまっていた「マックス」において、「ウルトラセブン」(狙われた街)の内容を引き継ぎつつ、社会に目を向けろと強く発信したことには快哉を叫びました。
その作品はウルトラへの決別とも受け取れるようなものでしたが、そのあと実相寺監督がどこへ向かうのか非常に興味深かったのです。

また、著作が多いこともあり、初期ウルトラがどんな発想で作られていたのかを実相寺監督を通して知ることが出来たのもありがたいことでした。
(もちろん、バラエティに富んでいたウルトラシリーズがそれだけで測れるわけではないのですが)

遺作は「シルバー仮面」のリメイク「シルバー假面」第一話とのことです。
なんでかなぁ。
シルバー仮面のリメイクということにしないと企画が通らなかったのかなぁ。
どうも納得できませんが、最後の作品で何を見せてくれたのかDVDリリース時に確認しましょう。

最後に、訃報を伝えるTVニュースで生前実相寺監督がウルトラマンについて語った様子が放送されました。
「ウルトラマンをどうこうしようとか、どんなヒーロー像に育てようとかいう気はみじんもなかった。あの手この手で怪獣を考えるのが楽しかった」
1989年時点でのインタビューです。
「メビウス」スタッフはこれをどう受け止めますか?

1406 Reply Re:またしても、訃報 ルー等級つつ大臣 2006/12/05 22:16

私からも。
私の世代は丁度昭和50年代のリバイバルブームでウルトラマンと接した世代なのですが(リアルで見ていたのは80ぐらい)その時は正直
レッドキングやバルタンといった実相寺監督作品以外の怪獣(及び作品)が好きでシーボーズやガヴァドンといった実相寺監督作品は正直見ていて不満でした。
ギドラ氏のおっしゃる通り変化球でしたから。
しかし、時が経つにつれてそういった実相寺作品の良さが判ってきました。
それと同時に「怪獣」の据え方も何も暴れまわるだけが怪獣ではないんだなとも思えますし(実はカネゴンも嫌いだったが今は好きだ)実相寺監督の意図も徐徐に判って怪獣のバリエーションを拡大させるのに
大きな貢献をしてたんだなと思います。
映像表現なども円谷監督のスピリッツの一つである「物への拘り」を実に大事になさって自分なりの表現で行ったのが「あの映像」だったのではないでしょうか。
それは真似しても出来るものではないです。
後続の監督がひっきりなしに安易に実相寺アングルの真似をしてますがとても「本家」の足元にも及ばない代物でした。
物に拘る姿勢といったのが微塵も感じさせないのです。
ただ真似さえすれば受けるだろうという安易な姿勢が見え隠れしています。
それはある意味今の日本映画での最大の難点である「イージーさ」とは反したものです。
作家を粗末に使い捨てにして次々と合理的にしていった結果、日本映画は駄目になったのではないでしょうか。
(「怪奇」での作品は実相寺監督の意図と企画意図が理想的に結ばれた稀有な作品だった。)
それだけに今回の訃報は悲しかった・・・。
次々と「映画」を理解している映画人がこの世を去ったのですから・・・。
佐々木守さんといい今回の実相寺監督といい丹波哲郎さんといい・・・・有川監督といい伊福部先生といいきちんとしたメッセージを伝えるクリエーターが
正当に評価せず話題性のみしかない映画ばかり持てはやされる今日、日本映画は本当の意味で復興させなければならない!と思います。
今はただ天国の実相寺監督にありがとう!といいたいです。
合掌・・・。


1407 Reply Re:またしても、訃報 ルー等級つつ大臣 2006/12/05 22:22

訂正↑

実相寺監督をはじめ全盛期の日本映画の監督たちの演出はそれはある意味今の日本映画での最大の難点である「イージーさ」とは反したものです


1413 Reply Re:またしても、訃報 殿様ギドラ Mail 2006/12/11 18:10


> それと同時に「怪獣」の据え方も何も暴れまわるだけが怪獣ではないんだなとも思えますし(実はカネゴンも嫌いだったが今は好きだ)実相寺監督の意図も徐徐に判って怪獣のバリエーションを拡大させるのに
> 大きな貢献をしてたんだなと思います。

確かに実相寺作品がなかったら、ウルトラシリーズの広がりはずっと狭いものになっていたでしょう。
それでもそれでも実相寺作品に変化球が多いとしても、ウルトラマンやセブンをいじり回すことはなかった。
ヒーローが直面する事態(事件)に新たな発想を持ち込んでストーリーを作り上げていったからこそ、広がりが生まれたのです。
その筋の通し方に学ぶ必要がある!

1392 Reply 怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき 殿様ギドラ Mail 2006/11/29 19:07

かなりスレッドが長くなってしまったので、別スレにします。

>これってさん

お返事がいただけるとは実に嬉しいです。
このごろはどうも忙しくて、かつての新作ゴジラを語る掲示板シリーズ(ギドラの巣にログを残してあります)ほどには活発に投稿出来そうもないのが歯がゆいんですが、
レスが遅くなることがありましてもどうかご容赦下さい。

メビウスに関しては、私が最初にどう受け止めたのかは投稿ナンバー980のスレッドに書かれていますので、過去ログをたぐってみてください。
意外や意外、結構期待して見始めたんですよ。
その後998番スレッドにもメビウスについて書いてあります。

第一期の設定じゃないからダメだという受け止め方だけじゃないんですよ。

ウルトラマンに兄弟がいても、父母がいても、怪獣出現や宇宙人の侵略というモチーフを使うならおもしろくするためのフォーマットがあるでしょ、ということです。

いやー、しかし、ギドラの巣もちょくちょく晒されますな。(←晒されたときには知らないんだけど、あとで知ったりする)
特撮ファンには殿様ギドラのファンがいるのかな??
(サインしてやろうか?)

要は誠意ですよ。
私はキツイ物言いもしますが、自分の発言に責任も持たず(軽いヤツは、自分がいままで何を書いたのかも覚えていないもんな)その場の勢いだけで人の気を惹こうとするような「煽り」投稿はしません。
まあ、私の知らないどこかでどれほど私がコケにされバカにされいたぶられているのか、それこそ知りませんが、大丈夫です。
特撮マニアはそんなにバカじゃないですよ。
いまのところカミソリ入りのメールなんかはぜんぜん来てません。
(何年も前に一回、いや、二回あったかな?ある種の脅迫は受けましたけど)

で、せっかく晒されているならkeiさんの
>第二期でウルトラにはまった世代の人たちが、後からビデオで「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」を観たときにどう感じたのでしょうか? 
>やはり第二期の方が面白いですか? とても興味あります。

という問いかけに是非答えて欲しいです。
私も興味津々です。
ゾンデ5号さんからはお答えを頂きました。(ありがとうございます)
でも、ゾンデ5号さんは本放送当時に第二期ウルトラを知っていたわけではないので、第二期でウルトラを刷り込まれた方からの回答、待ってます!!

(くあ~、私の007体験もkeiさんとそっくりだ!『死ぬのは奴らだ』を劇場へ観に行ったのが初ボンド体験だったと思います)

1397 Reply Re:怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき これって 2006/11/30 04:23

元スレのほうにも書き込みしたので見てくださいね。
お返事が遅れているなど全然気にしてませんよ。
むしろ私が来訪者として勝手気ままな意見を書いているようなものですし。

>第二期でウルトラにはまった世代の人たちが、後からビデオで
>「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」を観たときに
>どう感じたのでしょうか? 
>やはり第二期の方が面白いですか? とても興味あります。

ストレートに言いますと私は狭間の世代なのですよ。
というのは今が30代前半。つまり第一期~第二期を物心ついたときから
繰り返し何度も再放送で見た世代なのです。
リアルタイムで見たのが小学生1、2年位での80だけなのですね。

正直な所第一期、第二期という分け方も意識せず見てたので
いろんなウルトラマンがいるのだという意識でした。
ただ、子供の目から見るとウルトラマンはあくまでもヒーローという
位置づけなので、難しい話、深い話の魅力を感じるのはそのずっと後の
話なのですね。
という事で、初期ウルトラに行くほど少し地味に感じていたのは事実です。
無論第二期の突拍子もない作戦や妙な展開は子供心にもおかしいと思ったり
したのですが、「子供視点の」お話の盛り上がりとしては第二期のほうに
軍配が上がるでしょうね。
無論ドラマとしての完成度では初期ウルトラの方がよいのでしょうが。
(再放送でさまざまなウルトラマンを見ているだけに、その競演となる
ウルトラ兄弟という設定がとても魅力的に思え、その為ウルトラマンの
解説本などの設定にも心躍らせたものです。)

第二期では「空想シリーズ」から「ヒーロー」としてのウルトラマンが
よりピックアップされたものと思われます。
そういう意味で第二期のイメージや印象は強いのだと思います。
なので、子供が見るもの(幼稚園~小学生)として考えると第二期の方が
より印象深く、楽しめる内容だったのですね。
大人が見ると失笑しそうな設定やお話も子供にとっては分かり易いのです。
ぶっちゃけドラマ部分が理解できず、格闘シーンだけ盛り上がる(見に来る)
子供が大半でしょうからね...
これはメビウスの映画でもそうでした。ザラブ星人出現で劇場の子供たちが
泣いたり帰ろうとしたりとw
でもウルトラ兄弟&メビウス登場でキャアキャアと盛り上がるのです。

ただし大人になってみると第一期も味わい深くとても深い。
そういう感想を持つ人が多いのかなと。

1404 Reply Re:怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき 殿様ギドラ Mail 2006/12/05 16:48

これってさんのお話に触発されていろいろ思うところはありますが、まだ第二期ウルトラからはまった方のお話が出てこないので、もう少し待ってみます。


1412 Reply Re:怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき 殿様ギドラ Mail 2006/12/11 18:02

いろいろとご意見を頂いて個別に思うところはあるものの、それらをひっくるめてここで私の「ウルトラマンメビウス」観(感)をまとめてみます。

ウルトラ兄弟という発想が気に入らないということはすでに述べておりますが、これは30年以上も前に作られてしまった形式で、
いまさら原点回帰とばかりに「兄弟はナシよ」とやっちゃってもすでにウルトラ兄弟を刷り込まれてしまった人々が納得できないということもあるでしょう。
(ところで、ウルトラ兄弟が当たり前だった方々は「メビウス」以前のM78星雲人ではないウルトラマンの登場をどう受け止めたのでしょう?)

また、ウルトラ兄弟という設定がそれ以前の作品と明らかな矛盾を生じるということはありません。
(私が持っている古い怪獣図鑑では、ウルトラマンとウルトラセブンは親友であると書いてある)
ですから、ほかのウルトラマンがゲスト出演することを否定はしません。
しかし、最初期にウルトラ人気を支えたファンの心理を逆なでするやり方に納得していないのも確かです。

ウルトラの父がメビウスに地球で修行してこいと命令するなんて、善悪が入れ替わっているだけでショッカー怪人の派遣と大して変わりません。
少なくとも「帰ってきたウルトラマン」までは、彼らが地球に居残ったのは個人的な理由によるもので、ウルトラマンが地球を守るという制度があったわけではないのです。
「ウルトラマンA」以降、大きく設定を改変してしまったのは隠しようもない事実。
ウルトラ兄弟に慣れ親しんだファン層を大事にするのと同時にそれ以前のファンも大事にすることは出来ないのでしょうか。
あからさまに父だの母だのを登場させず、タロウ兄さんだのレオ兄さんだのと言わせなくても成立させられるのではないでしょうか?
ウルトラマンやウルトラセブンは、謎の宇宙人だったからこそ魅力を感じた、というのは私の見解ですが、第一期ウルトラに燃えたファンに共通する意識ではないでしょうか。

で、「メビウス」って、ウルトラマン40周年記念ではなくて、ウルトラマンシリーズ40周年記念だったんですな。
数日前に気が付いたというていたらくなんですが、なんでその件に突っ込みが入らなかったのかなぁ、なんて考えたら、
そりゃそうです、40周年なのは「ウルトラマン」放映からであって、当初はウルトラマンシリーズという発想はなく、
出発点は「ウルトラQ」であり、その後の「キャプテンウルトラ」も含めたウルトラシリーズだったわけですから、私だけでなくほとんどの人がウルトラマンの40周年に合わせた企画だと理解していたのでは??
それをわざわざウルトラマンシリーズ40周年と銘打ったところになんだか胡散臭い物を感じたりします・・・。

というのは、「メビウス」評価としてはまだ表面的なこと。

「ウルトラマンメビウス」は巨大ヒーローが怪獣や宇宙人と戦う話なんですよね?
怪獣が出てくることで何が起こるのでしょう。
怪獣は大きいゆえに反社会的存在なのです。
野良猫や野良犬だって人間に迷惑をかけます。けれども、彼らは歩き回ったって街を壊すことはありません。
出てくるだけで迷惑というのが怪獣であり、ひとたび怪獣が現れれば、それは誰か個人の問題ではなく、社会の問題となるのです。
ですから怪獣ドラマには社会を感じさせるストーリーや演出が不可欠なのです。
そして、映像面で大きな物が出てくるだけでなく、ストーリーにも広がりが出てくることで視聴者の意識を拡大させ昂揚感を生むのです。

ところがメビウスでは、群衆すらたまにしか出てきません。社会の反応を扱ってもまったくの背景扱い。
ストーリーの主軸になるのは、GUYSのメンバーばかり。
彼らが戦う動機は身近な誰かを意識してのことばかり。
狭い!
ストーリーも演出も狭すぎる!!
怪獣やメビウスのでかさが虚しいだけだ。

この視野の狭さに通ずるのが、「ウルトラマン同士のじゃれ合い」(←馴れ合いではないです)です。
複数のウルトラマンが登場し、ウルトラマン間になんらかの葛藤を持ち込む、というやり方はすっかり最近の定番になってしまったようですが、
それは変身ヒーロードラマを矮小化させる原因になります。
変身ヒーローは非日常的な存在であり、ストーリー上は事件解決の最終手段なのです。
ところが主役のヒーローが、自分と同等の非日常的な存在と、斬った張った惚れた腫れたとやり始めてしまえば非日常同士のぶつかり合いとなり、すべてが空想で埋め尽くされ、
却って空想の楽しさがスポイルされてしまうのです。
(怪獣出現やウルトラマン変身の瞬間に快感を感じるのは、日常が破れる快感である)
怪獣や宇宙人とウルトラマンが戦うことも空想同士のぶつかり合いではあります。
しかし、なぜその戦いが起こっているのかと言えば、日常を壊す怪獣・宇宙人を排除するためであり、根っこのところには人間の日常生活があるわけです。
それをウルトラマン同士の愛憎だの友情だのと言い出してしまうと、はなっから作り物の茶番と化し、作品外(現実世界)からの影響を受けず、作り手の頭の中だけでこねくり回したリクツに支配され、
そのくせ空想による神秘性が強調されるのではなく、ウルトラマンが日常化して卑近になり、ウルトラ(超)マンではなくなってしまうと言っても過言ではありません。
なぜそんな発想になってしまうか。
視野が狭いからです。
ウルトラマンを考えるときにウルトラマンのことしか考慮していないから。
ウルトラマンが劇中世界でどんな役割を負っているか、劇成立のためにどんな機能を持っているかなどなど、幅広い視点から発想していればこんなことにはならない。
「メビウス」のストーリーを創作するとき、レギュラーメンバーのことしか意識し得ていないから社会的な広がりを持った物語にならないのと根は一緒でしょう。
ウルトラ兄弟を持ち込んだ第二期ウルトラであっても、ストーリーの広がりは社会性を帯びていたのに。
(注・ここでいう社会性とは、作品に現実社会で起こっている諸問題を取り入れるという意味ではなく、作品世界に現実の人間社会のような重層性を感じさせるということ。
家族・友人・職場・学校・地域・国家と積み重なっているのが社会であり、一見無関係な人々もどこかで繋がっているのが現実です)

そのうえ、登場人物や組織の行動がいい加減である。
この問題は「ネクサス」や「マックス」のほうが酷かったんじゃないかと思いますが、「メビウス」も相当かましてくれます。
最近の例で言うと、リフレクト星人はなんのために地球に来たのでしょうか?それともそれはどうでも良いことなんでしょうか。
また、レオを手本に宇宙人を倒すための修行に入ろうとするメビウスはいいとして(笑)、GUYSはメビウス任せで宇宙人対策を考えようともしないし、特訓中のミライ君に差し入れを持って隊員が3人も現れる。
その直前にも別の2隊員が明子姉ちゃんよろしく見守っているし。
職場放棄か。
もう一点。リフレクト星人はメビウスに勝てると確信すると殺さずに見逃していますね。
しかし、しつこいメビウスが再戦を挑んできたから、命をもらいますよ、と言っている。
それに対して、メビウスは相手のプロテクターを破れることを示しつつ、あとは問答無用でレオと一緒にリフレクト星人を殺してしまう。
どっちが極悪だ?
ババルウ星人がヒカリ(フレッツ光のキャンペーンキャラだもんなぁ)を陥れようとしてツルギに変身して地球で暴れたのも理解できない。
整理しますと、ヒカリが地球に戻る(なんのため?)途中、ババルウ星人と一戦交えて怪我させた、だからヒカリを目の敵にしたババルウ星人はヒカリを陥れようとした、ということらしいけれど、
すでにヒカリは地球を離れているわけで、いや、それどころかもともとツルギの評判は悪かったわけで、ウルトラマンの評判を下げたいのならメビウスに化ければいいわけで、ん?ツルギに化けて暴れてもヒカリの評判には傷は付かないんじゃ??
それにニセツルギとヒカリの地球での第一戦を群衆は目撃しているはずなのに、ヒカリを怖れて逃げまどう。
冒頭、暴れていたのはヒカリではなく(ニセ)ツルギである。そのツルギと戦っていたヒカリをなぜ怖れる?
こういうのを「話にならん」というのです。
(またまた私の知らない設定があるんでしょうか)

「ネクサス」以降のウルトラシリーズに感じる不満はウルトラシリーズとして成立しているかどうか以前に、まともなドラマになっていないところにあります。

とはいえ、これには、子供番組なんだからそれでいいのだ、というご意見もあるかと思います。
確かに年少者の認知能力ではありのままの社会をまるごと理解することは出来ないでしょう。(大人でも出来ない)
しかしだ、劇作とはなんですか。
なかなか捉えきれない社会のこと、宇宙のことをなんとか捉えようとするのが劇作でありましょう。
そこにある矛盾や不思議さ、謎解きなどを描出するところに物語の面白さがあるのです。

「メビウス」は世界を単純化し、子供たちの認知能力を超えない範囲で怪獣とウルトラマンが組んずほぐれつする状況設定をしているに過ぎない。
そこに、本当の世界はない。
こういう作りのTV・映画を何というか。
子供だまし、というのです。(最近は高級っぽい体裁を整えただけの大人だまし作品もあるけど)
第一期ウルトラがなぜこれほどまでに評価されているか。
子供だましを排除して、真の物語作りを目指していたからです。
もちろんそこには失敗もあるでしょうが、最初から子供レベルに合わせようとした作品とは格が違います。
子供を楽しませるということと、子供しか楽しめないということは別のことです。

子供目線の単純なヒーロードラマも必要でしょう。
でも、それはウルトラがやることではないです。

いや、ウルトラなら大丈夫なんです。
ストーリーを完全に理解できないとしても、特撮映像という強力な娯楽性を持っていますから、どんなに小さな子供でも楽しめるんですよ。
私が初めて「侵略者を撃て」(バルタン星人)を見たとき、バルタン対策の会議の内容をどれだけ理解できたか怪しいものです。
(諸事情は省きますが、私が「侵略者を撃て」を初めて見たのは、小学校1年生のとき)
しかし、そんなことは問題ではなく、分身するバルタンの華麗ともいえる特撮映像に心奪われたのです。
同時に、完全な理解はないままでも、殲滅されたバルタン星人にある種の哀れさを感じたのも確かです。
それがウルトラシリーズではないでしょうか?

と、ここまで書いてきて、責められるべきは私のような初期ウルトラからのファンかもしれないと気が付きました。
物心付いたときにすでにウルトラ兄弟を刷り込まれていた方々が幼児化してしまったウルトラを批判できるものでもないでしょう。
ならば、ウルトラの流れを知っている人間がきちんと声を上げるべきだった。
私自身のことを申し上げれば、「ウルトラマンA」以降で諦めてしまったところがあります。
ウルトラはダメになっちゃったな、と。
子供だったので仕方がないとはいえ、それは初期ウルトラで楽しませてもらった(というレベルではなく影響を受けた)のに、
あとの世代のことはどうでもいいという態度でしかなかった。
円谷プロでもテレビ局でも、手紙でも何でも出せば良かった。
最近でもそう。
ティガ以降のウルトラに対してもっと声を上げるべきだった。
作り手は常に良い物を作ろうと努力しています。
もろもろの路線変更や改変もよかれと思ってやってきたはず。
良くないと感じたなら、もっとはっきり表明しなければならなかったのに。

(ここですこし言い訳すると、映画作品と違って、TVシリーズの場合、おもしろくないと思いつつ毎週見るのは相当の難行苦行で、
見てない物について発言できるものでもなく・・)

30年以上前にねじ曲がってしまったウルトラシリーズに対していまさら何を言えるか、と諦めている人も多いのでしょう。(私もそうだった)
しかし。
ウルトラと言えば、いまでも円谷英二や金城哲夫の名前が取り沙汰されるのに、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」とは発想の違うウルトラを放置していいわけはない。
私は、子供たち(次世代)にも初期ウルトラの精神を持った「現代の物語」を見せてやりたいと願うのです。

1416 Reply Re:怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき ゾンデ5号 2006/12/13 17:03

>ウルトラマンやウルトラセブンは、謎の宇宙人だったからこそ魅力を感じた

そういう面はあるかもしれません。
一応『帰ってきたウルトラマン』までは謎の宇宙人という感じもかもし出していました。(『ウルトラセブン参上!』の時のウルトラマンジャックの声はちょっと宇宙人っぽさを感じられました)
どことなく正体不明な部分もあるから、自分は第1期の方が好きなのかもしれません。
しかし、それを排除してしまったのが『エース』以降のウルトラな訳ですが。
でも『ウルトラ兄弟』という設定は好きといえば好きなので複雑な気分なのですが・・。
ただ、第2期は、社会や怪獣をきっちり描写していたのでまだ良かったのですが、メビウスの描く一般社会って、GUYSを引き立てるのにしかなってないんだよなぁ。
リフレクト星人についてもギドラさんと同意見で、何だかレオを無理矢理出すために出した様な感じで、レオとおおとりゲンが出てくれたのは嬉しいのですが、これではなぁ・・。

個人的にはウルトラ兄弟の設定は好きです。
でも、兄弟を前面に押し出さなくても大丈夫かなという思いもあります。
youtubeで『帰ってきたウルトラマン』の初代マンとセブンが客演する「ウルトラの星光る時」を見て、初代マンとセブンの登場に燃えちゃいました。
おそらく、ウルトラマンの神秘性(どこからともなく宇宙の彼方からジャックを助けにやって来る)もそれなりにあったのが功を奏していたのかもしれません。

1417 Reply Re:怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき 殿様ギドラ Mail 2006/12/13 17:48


どうもどうも。
「帰ってきたウルトラマン」までは私もほとんど問題を感じないんですよ。
(ストーリーや美術面で「帰マン」の後半はかなり苦しいけど)
まあ、初代マンとセブンが新マン(ジャックという呼び名は少なくとも70年代には存在しなかったはずで・・)を助けに来るとき、ハヤタとダンが顔を出しちゃうのはまずいなーと(当時も)感じたんだなぁ。



1425 Reply Re:怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき これって 2006/12/16 07:14

>>ウルトラの父がメビウスに地球で修行してこいと命令するなんて

ここはまだまだ謎の部分と思いますよ。
忘れてはならないのは、メビウスは「怪獣が25年間出現していない地球」に
派遣されているという事です。
少なくとも現時点では怪獣退治のために行けとは言われてないのですよ。
これは果たして修行なのか、それとも人間を学んできなさいという気持ちなのか。
もしくは既に語られている「脅威」を予見していたのか。
ウルトラの父の真意はこれから語られるのでしょうが、
「ウルトラマンが地球を守るという制度」があるからとは限らないようです。

>>あからさまに父だの母だのを登場させず、タロウ兄さんだのレオ兄さんだのと

宇宙警備隊という設定ができていますし、A~タロウでの兄弟の競演も
既に史実になってしまっていますからね...それを無視は出来ないのでしょう。
メビウスの舞台は「ウルトラ兄弟たちが地球を救った歴史のある世界」
それだけに謎の宇宙人という設定を今作に求めるのは難しいことでしょう。

(というより平成ウルトラシリーズは見ていましたか?こちらで謎の宇宙人であり
光の巨人であるという世界がいくつも語られていますし...
逆に「ウルトラマンの予備知識がない世界」だけという寂しさから、今回の
ウルトラマンシリーズの続編、という案ができたのだと思いますよ)

>>ですから怪獣ドラマには社会を感じさせるストーリーや演出が不可欠なのです。

これも平成で語られてますね。
特にコスモス、ネクサスではある意味リアルな怪獣災害&危機管理意識が
描写されています。
ただ、その描写を深くしすぎると物語全体を暗くしてしまう問題もあったり。
その部分がメビウスでは馴染まないと考えられたかもしれませんね。
怪獣災害意識<ファンの望む展開 という意識のもと、物語の方針が
決められたのかと。

民衆があまり語られない点は私も同感ですね。
ただしインペライザー襲来、ババルウの事件なども含めて徐々にそうした描写も
増えているように思えます。

長くなりそうなので一度切ります。

1426 Reply Re:怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき これって 2006/12/16 10:43

>>そのうえ、登場人物や組織の行動がいい加減である。

はっきりいいますがここからのくだりは殆ど事実誤認ですよ。

これをそのまま放置してたら2chで徹底的に叩かれそうですし
イタズラ、嫌がらせメールが大量に来そうなのであえて書きますが。

まず、リフレクト星人は見逃したのではなく「次にきた時に命をもらう」と
命を預けただけです。善意などありません。
二回目の訪問も予定通りに命を奪いに来ただけでメビウスが
しつこかったわけでも再選を要求したわけでもないですね。

またリフレクト星人は自分の身体に傷がついたとたんに余裕がなくなって
本性を表わし、よりによってGUYSの仲間の命を盾にメビウスの命を
奪おうとする卑怯極まりない行動に。
只でさえ卑怯な人質作戦に加えて、防衛チーム、仲間、大事な人を奪われた
過去を持つレオの目の前でそんな手段を取ったらレオが切れるのも当たり前かと。
どう考えても極悪なのはリフレクト星人の方でしょう。

あとツルギについても偏見気味の解釈と思いますよ。
ババルウにはツルギ&ヒカリを孤立させる復讐の意図を持って地球に行ったわけで
(本編で語られてるように、ターゲットの周囲を騙して精神的に追い込むのが
ババルウの常套手段なので、地球に行ったのは理由があることですね)

>>ウルトラマンの評判を下げたいのならメビウスに化ければいいわけで
復讐の対象はツルギ&ヒカリであり、ウルトラマンの評判を落すために
来てるわけではないので。

>>ツルギに化けて暴れてもヒカリの評判には傷は付かないんじゃ??
ババルウにとってはヒカリの最強形態がツルギと認識してます。
(ヒカリサーガ3より)
故にババルウにとってはヒカリ、ツルギどっちで暴れても関係ないんですよ。

>>ニセツルギとヒカリの地球での第一戦を群衆は目撃しているはずなのに
目撃しているのはヒカリの姿だけですね。
あと劇中の特集番組?でもあったように、あの時点で恐怖の対象は
「青いウルトラマン」であり、その番組中で主婦が「ウルトラマン同士の争い」と
認識しているように、赤以外の「青いウルトラマン」が侵略者扱いされてるのです
故に多少の形状が変わろうが「青い」だけで地球の被害を省みない危険な存在と
認識しても何の不自然さもないでしょう。

>>(またまた私の知らない設定があるんでしょうか)
率直に言って、そのような疑念があるのでしたら言葉をもう少し選んだ方が
いいような気がしますよ>「話にならん」等等

正直な所、リフレクト星人の話もババルウ星人の話も本編の流れをしっかり
見た上での反論や疑問ならいいのですが、劇中描写を誤認した上での批判は
誰も相手にしてくれないばかりか、格好の叩かれる材料です。

前から少し思っていたのですが、ギドラさんの心のどこかにメビウスに対して
偏見とか、批判意識を持ったままご覧になっているのではありませんか?
その為に、劇中描写も大きく誤認してしまうのではないでしょうか?

まともなドラマになっていない、話にならん、という表現もあったのですが、
まずはしっかりとネタ元のお話をしっかり把握する事。
その上で批判をしましょう。
でないと誰がその意見に同意するでしょうか?

事実誤認部分がかなり目立っていたので、そこだけ返信させて頂きます。

1428 Reply Re:怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき これって 2006/12/16 11:40

>>「メビウス」は世界を単純化し、子供たちの認知能力を超えない範囲で
>>怪獣とウルトラマンが組んずほぐれつする状況設定をしているに過ぎない。

この辺のバランスは大事だと思いますよ。
ただ後述されている
>>第一期ウルトラがなぜこれほどまでに評価されているか。
>>子供だましを排除して、真の物語作りを目指していたからです。
>>もちろんそこには失敗もあるでしょうが、最初から子供レベルに合わせようと
>>した作品とは格が違います。
この辺りはあまり同意できません。

真の物語という意味で、ある意味子供ではなく大人の視聴に耐える?ように
作られたネクサスが打ち切り、平成セブンも殆ど黒歴史的に語られる現状を見ると
リアルすぎる描写が評価され、それを子供も理解できて、しかも良い作品との
評価を受ける。それは非常に難しいことと思います。
(メビウスのスタッフは殆どがネクサスのスタッフと同じらしいですし、
メビウスの作風を作るに当たって、影響は大きいかもしれませんね。
打ち切りのショックはそれは大きなものでしょうし)
それに第一期ウルトラも中立的な目で見ると全てが手放しで喜ばれたわけでもなく
その中に珠玉の名作がいくつもある。という印象を持っているのですが。

そうした要素を加味した上でメビウスがあると思います。
ただし当初から「ウルトラ兄弟の客演があったからこそ、ドラマ性やリアルな
部分を一部諦めなければならなかったのかもしれませんが。
(その全てを網羅しようとるれば100話くらいが必要になるでしょう。)
その中で物語的にも深いお話もありますし、結構健闘はしてるんじゃないかなと。

まあ、ウルトラシリーズにもそれぞれテーマがあると思うんですよ。
比較的昭和シリーズに近い作りがティガとか、怪獣保護、それに纏わる
問題提起とかはコスモスとか。
ただそのテーマ以外の点については完全なフォローは難しいのはある程度
仕方のないことなのかもしれませんね。

そういう意味で今回のメビウスのテーマは、第一期ウルトラファンにとっては
受け入れにくいものがあるのかもしれませんが...

1432 Reply Re:怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき 殿様ギドラ Mail 2006/12/18 17:29

今日のところは1426番記事のみへのレスでご勘弁を。

私は事実誤認などしていませんよ。
まずは私の文章をきちんと読んで文意を汲み取ってください。
皮肉混じりに書いていることをお忘れ無く。

そして、作品に描かれていること(映像・演技)をありのままに受け止めてその上で「読んで」ください。
主要キャラクターだけでなく、名もない人物・社会の反応やあり方も「読んで」ください。
劇中のセリフ(言葉)で語られたことを鵜呑みにするのではなく、劇中の出来事を「読んで」ください。

それでもリフレクト星人の巻とババルウ星人の巻に疑問を持たないというなら、私がどう読んだのかをもっと詳しく解説しましょう。
(記憶をたぐって考えるのではなく、ちゃんともう一度見て下さいね)

1426番のこれってさんと同じ受け止めをしている人がほかにどれだけいるのか知りませんが、形式的な見方しか出来ていないようです。
作り手がどう見せたいかを関知していらっしゃるのはわかります。
しかし、それは作り手の意図を見透かしているだけで、作品の鑑賞ではありません。

(なんかさ、イタズラや嫌がらせメールが心配なんておっしゃるけど、お為ごかしにしか聞こえませんぜ)

1436 Reply Re:怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき 殿様ギドラ Mail 2006/12/20 18:26

さてさて、これってさんのご意見にお返事を。(またまた長いぞー)

1425番記事について。

ウルトラの父がメビウスを地球に派遣したことの是非は、その理由を問題視しているのではありません。
ウルトラマンが誰かの命令を受けて地球に来たのがおもしろくない、と申し上げているのです。
Aはなぜ地球に来たの?タロウはなぜ来たの?
それらもまとめて、まるで制度化されているようにウルトラマンが地球に来ているのがおもしろくないのです。
(裏設定なんか知りませんよ。作品を通じてどう見えるか、ということです)

宇宙警備隊という設定は初期からありましたが、ではどんな活動をしているのかはまったくの謎でした。
初代ウルトラマンが犯罪者ベムラーを追いかけて地球に来たのはわかるけれど、個人の判断で地球にとどまってしまう。
ではまったくの自由なのかというとゾフィーが呼び戻しに来る。
実に不思議です。でも、宇宙人だから人間社会とは違うのだという受け止め方が出来ました。

想像すれば、あれやこれやと隠された物語を自分で考えることが出来ます。
それが謎の宇宙人であることの楽しみ。

もちろん、その後さまざまな設定が付け加えられてがんじがらめになっていることは薄々知っております。
ウルトラ兄弟・父母・M78星雲の社会組織などを教え込まれた方々にとっては、そのあたりを明確にした作劇のほうが安心できるのでしょうね。
でも、それは初期ウルトラのファンにとってはものすごく抵抗を感じる設定であるとは何度も申し上げている通り。

両方が納得できるバランスを探す努力があってもいいんじゃないかということです。
70~80年代に作られた設定と矛盾しない形で多くを語らず謎を残すことは可能かと思うのです。
ウルトラの父がぺらぺらしゃべらなくてもいいでしょ?
(しかも、「メビウス」では父の口が動いているし。人間と同じ発声するの?ウルトラマン同士の会話ってテレパシーじゃないの??)

平成ウルトラで謎の宇宙人であったウルトラマンって、何人いるんですか。
ティガ・ダイナ・ネクサスは違いますね。

ガイアは最後まで見なかったのでわかりませんが、宇宙人であったのはコスモス(最初の数話と最終話しか見てない)とマックスだけでは?

平成ウルトラに初期ウルトラのような謎の宇宙人の魅力を発揮した作品が多かったとも思えませんが。

そして、メビウスに関してこの掲示板で最初に書いたように、第二期(第一期を無かったこととはしていない)を引き継ぐ形を取ったこと自体には私も喝采を送っております。
つながってこそシリーズ。

私が申し上げた「社会を感じさせるストーリーや演出」の意味がどうも伝わっていないようですね。
>(注・ここでいう社会性とは、作品に現実社会で起こっている諸問題を取り入れるという意味ではなく、作品世界に現実の人間社会のような重層性を感じさせるということ。
>家族・友人・職場・学校・地域・国家と積み重なっているのが社会であり、一見無関係な人々もどこかで繋がっているのが現実です)
と、補足したんですが。

「コスモス」(学芸会芝居に耐えられなくなってリタイアしました)はよく知らないけれど、「ネクサス」は決死の我慢で全話見ましたので意見を言えます。
「ネクサス」はリアルでもないし、社会性もありません。
むしろ逆に、内容を個人の感情面に絞るためにリアリズムを犠牲にして社会性を排除し、狭い人間関係に限定しようとした作品です。
それも不発に終わってますが。

そして、「コスモス」や「ネクサス」の出来映えとは別に、「リアルな怪獣災害&危機管理」を深めたからと言って話が暗くなるとは限りません。
怪獣災害シミュレーションとして相当リアルに出来ている『キングコング対ゴジラ』は暗い物語ですか?
『ゴジラ』は陰鬱な空気を持った作品ですが、リアリズムを求めることが物語を暗くするわけではありません。

ま、別に私は現実社会のシミュレーションとしてのリアリズムをウルトラに求めているわけではありませんのでそこは誤解無きよう。
怪獣ドラマを考えるときに糞リアリズムばかり求める輩と同一視されてしまったみたいですね。

では続いて1428番記事へのお返事。

>この辺のバランスは大事だと思いますよ。

このご意見、もっと詳しく書いて頂けませんか?
お考えがわかりにくいです。

平成セブンはTV特番として放送されたもの以外見ていないので、よくわかりません。
ひとつ言えるのは、「ウルトラセブン」の続編を作ろうと考えたことがアウトだろ、と。

「ネクサス」に関しては上でもちょっと触れましたが、たしかに、子供は度外視して大人向けに作ろうという意図はあったようですね。
脚本担当の方がインタビューに答えてそのように語っていました。
だがしかし。
作者が大人向けに作ったつもりでも、実際に大人の鑑賞に耐える作品になっていたかというとノーです。
知ってる範囲のウルトラ史上最低のポンコツ作品でしたね。
人物心理の整合性がいい加減な上にストーリーはスカスカでちまちまと積み上げた複雑怪奇な設定の説明を小出しにしているだけ。
そんな欠点に気が付かないレベルの観客(主に子供)が楽しめる爽快感もないんだから見るところナシです。
(高級っぽい体裁を整えただけの大人だまし作品であった)

私が提示した「真の物語」とはそういうことではありません。
それは、作者が全力で人間・世界・宇宙に挑むことです。
それは、ウソをつかないことであり、真剣に考えること。
どんなに幼い子供を対象にした作品でも、その姿勢を貫くことは可能です。
ちゃんと子供の感情を揺さぶる部分を持っていれば。(←「ウルトラセブン」になると子供を置き去りにした作品も出てくるので、それを私は評価しない)
初期ウルトラが真の物語を目指していたのだというのは、出来不出来の波はあっても作者が自分のレベルを下げて作ったと思われるものが見あたらないからです。
当時のメインスタッフは今の私よりずっと年下ですから、現在の目で見ると「うーん、不十分だなぁ」とか「そこをいい加減にしちゃダメダメ」なんて思うことも多々あります。
けれども、見ていてバカにされたような気分になることはない。
今見ても充分楽しめる。

「メビウス」いや、「コスモス」以降か、対象年齢が低いんだからとわざと力を抜いているように見えるところが実に多い。
それは「帰ってきたウルトラマン」の中盤以降「レオ」までにも見られます。

そういう点では「ティガ」「ダイナ」「ガイア」の三作のほうがマシだったかもしれません。
ウルトラシリーズとして納得できるかどうか、さらにおもしろかったかどうかは別にして。

私が言う意味での「真の物語」を目指したからと言って子供にそっぽを向かれることはありません。
逆に子供に合わせるような作風はある程度大きくなった子供からはバカにされる原因になりますよ。
初期ウルトラは子供が喜ぶ要素を取り扱いつつ、登場する人物像や劇展開に子供に判る範囲に抑えようという意識は見られない。
場合によっては子供には理解しにくい劇展開になることもある。
しかしそれは子供向けではないということにはならないです。
子供にとっては日常生活にも発見があり驚きがあるのです。
そうやって世界を知っていくのです。
TVや映画でも子供にはわかりにくい部分があってこそ、真に子供に見せるべき作品になるのです。
ただし、子供向け作品の場合、子供には見せるべきでない要素を注意深く排除する必要はあります。
(円谷英二監督が怪獣の流血を避けた理由もそこにある)
と、熱弁をふるっているのがバカみたいです。
だって、本多・円谷コンビの特撮映画はもちろん、初期ウルトラにはちゃんと子供たちがついてきたんですから。
そのあたりのことは、1412番投稿でちゃんと書いたんですけどね。

人物像や劇展開を子供が思いつくレベルに下げる必要なんてないんです。
内容を子供のメンタリティに合わせなければならないなんて、誰が言ったのか・・。
(まあ、それでも何十年か前までは特撮ものSFものは十把一絡げで「子供だまし」と言われていたんですけどね)

そして、前述したように初期ウルトラにも欠点はあるのですから、それを修正しつつ、さらには初期ウルトラの時代には考えられなかった現代的なアイディアを盛り込むことで新世紀のウルトラシリーズになるはずです。

「メビウス」に深いお話があったのかどうかとなると、エピソード各論になっちゃうのでそこに踏み込むべきか否かちょっと迷います。
私にはちょっと面白い話が二つ三つあったかな、というところで、深い話には心当たりがないもんで。

シリーズごとにテーマがあったというのは、どうなんでしょう。
明確に打ち出したものもあったかと思いますが、もともと一話完結でエピソードごとにテーマが変わっていたのがウルトラだったのに。
ま、それは置いておくとしても、
うーん、「メビウス」のテーマってなんだろう。

友情?正義?

果たして全体を貫くテーマがあるのかどうか、そしてそれが何であるか。
それを明確にしないと、
>メビウスのテーマは、第一期ウルトラファンにとっては
>受け入れにくいものがあるのかもしれませんが...

と言われても困りますよ。
(私が「メビウス」を気に入らない理由はさんざん書いてます。少なくとも私に関しては全体のテーマ云々ではないです)

1486 Reply Re:怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき ゾンデ5号 2007/01/09 23:02

メビウスを観てきて、自分が感じた気に食わないところをあげてみようと思います。

①ミライ君が正体をばらしてしまったことで、メビウスが地球人の下僕のようになり、『宇宙人、ウルトラマンである』事を感じなくなってしまった事です。
「僕が行ってきます」とあっさりメビウスになってしまうミライ君は違和感バリバリですぞ。

②怪獣が主軸の話が少ない事です。
昭和怪獣を持ってきてるのに勿体無いと思います。
『友情』なんつーのはどーでもいいから怪獣の大暴れを見せて・・。
(Aでもタロウでも怪獣はちゃんと暴れてくれるのに・・・)

『オーシャンの勇魚』は何ともスカスカな話でした・・(トホホ)
アリゲラはあっさりやられちゃうし、スタッフが力抜いてるの見え見えですよ。

話が変わりますが、youtubeで「タロウ」のバードンの話を見ました(英語ですが・・)
バードンが団地の住民食い尽くす描写があったりして、ちょっと怖かったです。(でもタロウは雰囲気的に自分の好みではないかも)


1487 Reply Re:怪獣使いの遺産(メビウス)スレのつづき 殿様ギドラ Mail 2007/01/10 15:24

いやー、ゾンデ5号さん、どうも。
「メビウス」にはきっちり意見を出しておかないといけないぞー、と思ってはいるのだけれど、いろいろ考えると問題はものすごく根深いんじゃないかと思えてきて、何を言えばいいものやら途方に暮れています。

ゾンデ5号さんに書いていただいて助かります。

今回私からは「オーシャンの勇魚」のことを少しだけ。
整備班長のセリフそのものには含蓄はあった。
「若いうちはなんでも出来るような気になる。しかし、人生は思ったより短い。云々」
なのに、ストーリー側にそのセリフを納得させる展開がない。
私もスカスカだったと思いました。
映像面では、冒頭の戦闘にスピード感があった(コンテが的確だったか)ことと、クライマックスでの風車を使って爆風を「見せた」演出が良かった。
***************
このスレッドもすっかり長くなってしまったので、次に「メビウス」についてお書きになる方は新スレを立てちゃってください。

1446 Reply 青島幸男氏を悼む 殿様ギドラ Mail 2006/12/25 17:36

あまりにも訃報が続きすぎて呆然としております。

(日本のマスコミはさほど騒いでいないけれど、「トムとジェリー」の生みの親であるジョゼフ・バーベラ氏もお亡くなりになりました。わたしゃ、ディズニーアニメよりハンナ&バーベラの「トムとジェリー」のほうがずーっと好きじゃ)

思いを書くのも辛いところですが、青島幸男さんのことは何か書かないとおさまりません。

私が円谷特撮に育てられたことは再三にわたってあちこちで書いてきました。
でも、もちろんそれがすべてではなく、「シャボン玉ホリデー」に代表されるクレージーキャッツのコントにも大きな影響を受けております。
それは物心付くか付かないかというぐらい幼いころのことですから、なにがどうしてそうなったかなんて分析が出来ないのが歯がゆいところ。

はっきりと意識してクレージーはすごい、と思ったのは、大人になってから無責任シリーズや日本一シリーズといったクレージー映画を観るようになってからのことです。
クレージー映画の成り立ちは脚本家田波靖雄氏や古澤憲吾監督の力によるところが大きいのでしょうけれど、
「スーダラ節」の大ヒットがなければあの無責任男のキャラクターが生まれなかったのも確かでしょう。

青島幸男さんのセンスがあったからこそ、日本にはまれなドライな喜劇が生まれたと言ってもいいです。
(エノケンさんという巨人もいるけど、クレージーものとはやっぱり違う)

今回、3年前に録画してあった青島幸男インタビュー付き『ホラ吹き太閤記』を観ました。
青島さん、お元気だったのに・・・・。

この映画の主題歌「だまって俺について来い」(作詞青島幸男)を『6000円の男』エンディングテーマに使わせてもらいました。(無許可ですいません)
それは、『6000円の男』を作ろうとしているときの自分の心情にぴったりの歌詞だったから。
そして、それ以前に、壁にぶち当たって身動き取れなくなっていた私を救ったのがクレージー映画だったから。

青島さんといえば「いじわるばあさん」の印象も強いですが、なんだか再放送は無理っぽい内容だったような・・。

とにかく、ここで書いておきたいのは、青島幸男さんは政治家や小説家もやったけれど、コントや歌で人々を幸せにした人なんだということ。
クレージーキャッツ(植木等)の歌を若者も聴きましょう。
人生が軽ーくなりますよ!
そして、クレージーソングが詰まった映画も観ましょう。
ぶわーっと生きる力を身につければ日本の未来も安泰だ!

セカチューだの電車男だので感動してるようじゃダメダメ!

と言える人間にしてもらったこと、青島さんには本当に感謝しております。
ありがとうございました。

1453 Reply Re:青島幸男氏を悼む 兄貴赤 2006/12/27 16:37

全くもって同感であります。

高度成長期の行け行けGOGOの日本、まるでお祭のような楽しい時代を象徴するようなクレージー映画、そのムードを盛り上げた青島さんの作詞作品の数々。
あの時代、日本社会に大きな影響を与えたと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

1458 Reply Re:青島幸男氏を悼む 殿様ギドラ Mail 2006/12/28 17:50

兄貴赤さんから私ぐらいがぎりぎりリアルタイムにクレージーソングの洗礼を受けた世代ということになるんでしょうね。

マミアン飲んで行こーーー!!

といって判る人がどのぐらいの歳なのか・・・。

青島さんの歌、そしてクレージーのことをあれこれ考えていたらなんだか現在の日本文化の行く末が心配になったりして。
当時はクレージーもろくなもんじゃないなんて言われていたと思いますが、
ふざけようが無責任を売りにしようが、いまのフワフワぐにゃぐにゃしたTV・映画とは根本的に違います。
(俗にお笑い芸人と呼ばれる人たちはよくがんばっているほうだと感じておりますが、それ以外は・・・)

どーにかしなきゃいかんです。

ニュースで見た青島幸男さんの告別式に参列していた植木等さんもどうもあまり体調がよくなさそうでした。
誰でも年老いていつかは天に召されるわけですから、偉大な業績を引き継ぐのは次の世代。
しかし、先人の精神を継ごうという意志を持った人材が少なすぎる。
表面的な形式ばかり後世に残してどうすんの!

そういや、TVアニメに「無責任艦長タイラー」なるものがありましたが、あれもクレージー映画の精神なんかぜんぜん引き継いでおりません。

悲しいことです。

1465 Reply 年末年始だ! 殿様ギドラ Mail 2006/12/31 18:59

いわゆるご挨拶はギドラ掲示板に書いたのでそっちを見てねん。

つーわけで、2006年もあとわずか。
2007年がはじまります。

ギドラの巣はとくに変わったことも計画してなくて、この掲示板ではいままで通り良い物も悪い物も「おっ」とか「ん」と思った作品のことをなーんか書いていきますのでどーかよろしく。

1480 Reply 銀嶺の果て ルー等級つつ大臣 2007/01/07 20:54

今回ようやくでーぶいでーが置いておるレンタル屋があったので早速レンタルして見ました。
伊福部先生のデビュー作品ということでサントラのほうは既に手に入れてどのような音楽かということは分かってましたがオープニングが思った以上にスリリングな出来栄えに驚きました。
(夜の街~警察隊出動~夜爆走していく警察のサイドカー~そして犯人が乗り込んだらしい汽車と無駄のないカット繋ぎでラドンにも使用されたアップテンポのタイトル曲が効果を生んでいる!それにしても「新版」って・・・?オリジナルは現存してないのか?恐らくは公開当時にカットしたのか?不明だなあ・・・)
この作品は3人の強盗犯が出てきますが小杉義男さん演ずる高杉は物語早々雪崩に巻き込まれて退場してしまうんですね・・・。
(しかも追跡する警官に威嚇発砲したために起こった雪崩に巻き込まれて・・・)
追跡劇にしても相当な豪雪で半分ぐらい雪で足が埋もれながらの撮影は相当きつかったんじゃないかと思えるほど警官、犯人双方不利な状況でよくやったなと思えます。
(追跡劇ということでスピード感溢れる展開に期待してた人には期待外れかも。
そのくらいアクションが少なかったのが意外だった・・・。)
ただこの作品、「大自然の前には人間などちっぽけなもの」というテーマが主眼となっているのでそれに関しては十分過ぎるほど見事な映像、展開となっています。
伊福部先生の本で中盤のスキーをするシークエンスでワルツを流したらどうかという谷口監督に対し伊福部先生は現行にある音楽をということで通したというのも正解であったと思う。
もしあそこでワルツを流してたら雪山の威容が消されていただろうし今の目で見れば違和感炸裂だったと思う。
テーマがテーマであったとはいえ人間同士の心の繋がりは秀逸で山男の本田の純粋さが犯人の一人である野尻(志村喬のキャスティングが秀逸!)が心を開いたのも
本田と若山セツ子演ずる春坊の純粋さだったし最後まで粗暴なままの三船と争うはめになったりそして後半の「山を降りよう」のセリフは野尻の決意を固めたかのようであります。
ラストの本田のセリフ「また山で逢いましょう」は彼の社会復帰を望んでる本田の心境が伝わってくる名台詞であります。

全体的に心の優しさが伝わってくるいい映画でありました。
画質はレストアがなされてなかなかの画質でありましたがラスト直前、突然フォーカスが極端に甘くなってしまったのは残念ではありました。
(そこだけ修復不可能になっていたのかな?)
とはいえ伊福部先生が音楽担当で大正解ないい映画だったと思います。

1488 Reply Re:銀嶺の果て 殿様ギドラ Mail 2007/01/10 15:44

『銀嶺の果て』DVDをレンタルしているとは、なんとすんばらしいレンタル屋さんでありましょうか。

あっしは何年か前、BSで放送した物を見ました。
それも「新版」でした。
多分、リバイバル用に再編集したものでしょう。(チャンピオン祭版と同じことですね)
オリジナル版のネガは行方不明というところか・・・。
(残念)

良い映画ですよね。
同じく監督谷口千吉、脚本黒澤明、音楽伊福部昭トリオの『ジャコ萬と鉄』のほうが有名で、何度かリメイクされていますが、
私としては『銀嶺の果て』のほうにぐっと来ました。

雪崩のシーンには緻密な合成カットもあってびっくりです。
(円谷監督がこっそり関わっていないか??)
それと、実直な正義漢本田の名前、谷口・黒澤両監督の盟友であった本多猪四郎監督から頂いた名前ではないか、なーんて考えちゃいました。
この映画は1947年のもので、まだ本多監督は映画界復帰出来ていないんでは・・。で、谷口・黒澤両氏がエールを送った、とか。

1491 Reply Re:銀嶺の果て 海軍大臣 2007/01/11 12:46

遅まきながら、あけましておめでとうございます。
>
で、早速【銀嶺の果て】なのですが、

> それと、実直な正義漢本田の名前、谷口・黒澤両監督の盟友であった本多猪四郎監督から頂いた名前ではないか、なーんて考えちゃいました。

と云うのはご推察の通りで、正確な書名は忘れましたが、何かの本で私も読んだことがあります。(あのキャラクター自体が本多監督をイメージしているらしいのです)
本作品では脚本ばかりか編集にも黒澤監督が深く関わっていて、ロケ先にまで電報で「こういう場面を撮るように」との細々とした指図が寄せられていたようです。(撮影したフィルムの現像が上がる側から黒澤監督が繋いでいったのでしょう)


それから雪崩のシーンの合成云々はハッキリ判りませんが、後年、円谷監督がライフワークである【日本ヒコーキ野郎】を企画していた際に、本編監督として谷口監督の名前が挙がっていたと仄聞したことがありますから、案外、この頃から係わり合いがあったのではないでしょうか?

あと、合成で思いだしたのですが、【七人の侍】の中盤、野武士の山塞を焼き討ちする場面で、炎上する山塞の前で右往左往する野武士どもに菊千代が「ざまぁみろ」といった罵声を浴びせるところがあります。で、実は私にはどうにもこの1カットだけが、スクリーンプロセスを用いているように思えてならないのですが、如何なものでしょうか?
是非、皆様の御意見をうかがいたく思います。


1494 Reply Re:銀嶺の果て 殿様ギドラ Mail 2007/01/12 16:02

海軍大臣さん、明けましておめでとうございます。

いやー、やっぱりあの本田は、本多猪四郎監督をイメージしていたんですね。
なんだか暖かい気持ちになります。
さらに黒澤監督が共同監督と言ってもいいほどに深く関わっていたとは驚きです。

雪崩での合成カットというのは、小杉義男さんがまさに雪に飲み込まれる2秒ほどのカットです。
今回改めてビデオで確認したところ、斜面に倒れている高杉(小杉)の手前に大きな雪玉(俳優の姿が隠れるほどの大きさ)が転がってきます。
雪玉はロケで撮影されたものと思われます。
その雪玉の後端を境にして移動マットを使って崩れてくる雪を合成しているようです。
モノクロであり画質もあまり良くないので別撮りの雪崩素材を合成しているのか、はたまた作画合成なのか判別できませんでした。
本物の雪玉を先頭にしているのでほとんど違和感がありません。
私が「あれ?」と思ったのは、流れてくる雪がちょうど高杉だけを覆うようにまっすぐ落ちていったように見えたからでした。

山本嘉次郎監督の助監督だった方々は戦前から円谷監督と繋がりがあった可能性が高いですね。
本多監督も『加藤隼戦闘隊』に助監督としてついたあたりで円谷英二監督と関わりがあったようですし。

それで、資料を調べ直しましたら、円谷英二監督が公職追放処分で東宝を去ったのは1948年3月ということで、
『銀嶺の果て』製作時には特殊技術課長であったと思われます。
オープニングクレジットに東宝特殊技術課の名前が出ていますから、この作品に円谷監督が関わっていたのはまず間違いないのでは??

さて、『七人の侍』でのスクリーンプロセス。
確認してみました。(数年前BSで放送された物)
私もスクリーンプロセスだと思いました。
画面手前に岩陰から覗くミフネたち侍がいて、奥に燃える建物と野武士というカット。
全部で3カットほど同じ手法で撮影されたものがあるようです。

手前の映像に比べて奥の映像はコントラストが甘く、同一のカメラ・フィルムで撮ったようには見えませんし、かなり距離が離れているにも関わらず、
パンフォーカスになっているのも怪しい。

と思いながら何度か再生しているうちに、「んぉぉぉ!」と気が付きました。
海軍大臣さんがご指摘下さった菊千代の「ざまぁみろ」につづく最初の(合成と思われる)カットにどうも違和感があり、
じっくりと見たところ、途中でほんのわずかなのですが、奥の画面だけがぴくっと右にずれるのです。
これは間違いなく合成カットであります。
そして、手前の人物と背景の境界線に揺らぎがないことから、移動マット合成ではなくスクリーンプロセスであると判断しました。

これまた円谷監督、手伝っているんじゃないでしょうか・・・。
『ゴジラの逆襲』DVDオーディオコメンタリーの有川貞昌監督によると、「~逆襲」時点でもスクリーンプロセスは円谷監督が開発した機械を使っていたようです。
なかなか調整が難しい機械だったという話も何かで読んだ覚えがあるので、機械だけ貸して別班のカメラマンに任せることがあったのかどうか・・・。
(なーんて、有川カメラマンが出向してたりして)

良いきっかけを頂いてすっかり勉強しちゃいました。

1501 Reply Re:銀嶺の果て ルー等級つつ大臣 2007/01/14 22:14

遅れまして申し訳ありません。
この映画は谷口監督デビューということで黒澤監督が谷口監督の為にシナリオを書いたほどですから同じ山本監督門下で盟友同士として黒澤監督も谷口監督の昇進は嬉しかったのではないでしょうか。
(それだけに本多監督の昇格の遅れが盟友同士として気になっていたのでは?)
あの本田のキャラクターはお二人の本多監督に対して憧れといったものが反映されていたと思います。
というか本多監督そのままって感じだと思います。
それにしてもあの雪崩のシーンがこの作品の特撮シーンとなるわけでありますが編集の妙も相まって実に作画合成も見事です。
前後の実写の雪崩シーンと連動して作られているために自然な仕上がりになっているので一瞬「あれ?」と思うほどですが円谷監督がこの作品に関わっているとなるとちと微妙ですが納得しています。
(どちらかというと合成の向山さんが担当したと思いますが。)
谷口監督と円谷監督は後に「大盗賊」を担当したますからこの頃からの付き合いだったのではないか?と思います。


1504 Reply Re:銀嶺の果て 海軍大臣 2007/01/15 12:42

ギドラさま。
早速のご返答ありがとうございます。
【七人の侍】は最近スクリーンで二回見てはいるのですが(川越のホームランシアターと町田のまちえい)、我が家のTVモニターが壊れてしまい、細かい部分までチェック出来ない状況なのでたすかりました。
仰るとおり、スクリーンプロセスマシンは理屈は簡単でも、現場での摺り合わせが大変難しい機械だと聞いておりますから、ほぼ確実に円谷さん本人が立ち会っているものと私も推察します。あのシーンに出ている俳優さんでは土屋嘉男さんがご存命ですので、お話を伺うことが出来ればよいのですが…。
ところで劇中、侍たちが野武士の山塞を夜討ちに向かう場面では実は久蔵役の宮口精二さんが乗馬が全く出来ず、吹き替えに背格好の似た俳優ということで、特撮作品でおなじみの大村千吉さんが馬に乗って代役を務めたそうです。
これは生前、大村さん御本人からの直分ですが、余り知られていない逸話のようですのでご紹介させていただきました。
それでは。

1506 Reply Re:銀嶺の果て 殿様ギドラ Mail 2007/01/15 16:50

>ルー等級つつ大臣さん
『銀嶺の果て』に円谷監督が手を貸していたのかどうかに確証はないところではあります。
昔の邦画はクレジットが実に簡略なので、誰が何を担当したのかわかりにくいですね。
資料本では合成技術課となっているので向山宏さん単独である可能性もあるわけで・・。

でもロケ撮影時点ですでに合成処理を考えた素材撮りをしていて、さらに動く物を合成境界線に使うという荒技ぶりは、
なんとも円谷英二っぽさを感じてしまうのでした。

>海軍大臣さん
ありゃー、モニターが故障とは一大事ですね。
早期復旧をお祈りします。

そして、大村千吉さんの逸話にびっくり。
ご本人から直接お聞きになったというのも、なんと貴重なお話でしょう。

またまた、やってて良かったギドラの巣、です。

ありがとうございました。

1495 Reply 犬が三毛のイチゴ食う 殿様ギドラ Mail 2007/01/12 16:04

ちょいと古い話で恐縮です。

市川崑監督の新版『犬神家の一族』。

私は旧角川映画版にはなんにもこだわりはなくて、TVで一回見たぐらい。
もちろん原作も読んでません。
それでも大ベテラン市川崑の新作は観ておくべえと12月中に行ってきました。

やっぱり、いまさら犬神家、なんですよ。
人間の愛憎や欲を描いているということで普遍性はあるんでしょうけれど、なんともストーリーの古さは否めません。
それに、旧版に比べるとなにか全体に軽い。
映像が平板な印象でした。
というわけで映画鑑賞としてはなんとも肩すかしを食らった感がありました。

しかし、なぜ感想を書いているかと申しますと、
内容面とは別に、市川監督の映画術を学ぶ絶好のテキストであると感じたからなのです。

シナリオの組み立て、映像の組み立て、芝居の組み立て、参考になる技が随所にありました。
説明的にならざるを得ないシーンでいかに観客の注意を持続させるか、
感情の盛り上がりを映像がどうフォローするか、
役者にどんな顔をさせるか・・・・。

観ていて、「上手いなぁ」と感嘆することが何度もありました。

でもでも、作品総体としてそんなに楽しめたわけではないので、みなさん是非観てねとは言えないのです。

お勧めしたいのは、映画を作っている人にです。
どうも若手のカントクさんには構成力(シナリオも映像も)が欠けていて、刹那的な作りしか出来ない人が多いみたいなので、
巨匠の技を吸収する意味で是非観て欲しいですね。
そりゃ、市川崑監督の昔の名作を観れば同じことが学べるはずだけど、
昔の映画なんかかったるくて観られるかい、なーんて御仁も多いんじゃないすかあ?(と、最後は皮肉)
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Author:殿様ギドラ
映画好き、とくに円谷英二の特撮映画が大好きのオヤジです。
F1を中心に内外の自動車レースにも興味あり。

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